広島県スポーツ協会について

公益財団法人広島県体育協会名称変更趣意書

本会は、1927年(昭和5年)12月15日創設され、1942年(昭和17年)に大日本体育会の設立により一度解散したが、その4年後の1946年(昭和21年)7月30日に民主的な組織として再建され、以来、広島県内の体育・スポーツ団体を統括し、広島県のスポーツ界を代表する唯一の民間組織として、今日に至るまで、本県の体育・スポーツの普及・振興、発展・向上に努力を注いできた。

本会は、今日に至るまで、自身の名称に「体育」を用いてきたが、これまで体育の概念を包摂している広義のスポーツとしての事業の推進に努めてきたところである。
この間の社会情勢の変化や国際化の進展、また、1964年(昭和39年)に開催された東京オリンピックを契機として、スポーツという言葉が社会に広がりをみせる中、2011年(平成23年)8月24日にスポーツ基本法が施行され、この法律により、スポーツは、競技スポーツのみならず、心身の健全な発達、健康及び体力の保持増進なども含む広く身体活動を意味する言葉として位置づけられた。また、近年では、2015年(平成27年)10月1日にスポーツ庁が発足し、2018年(平成30年)4月1日には、日本体育協会がその名称を日本スポーツ協会に変更、さらに、2024年からは、「国民体育大会」の名称が「国民スポーツ大会」に変更されることとなっている。

本会も、これらを機とし、創立以来、94年という永きにわたり脈々と受け継がれてきた歴史と伝統を継承しつつ、「する」「みる」「ささえる」スポーツとして、広島県民に活力や感動を与えられるよう、スポーツの普及・振興、競技力の向上により一層努めることを決意し、2021年(令和3年)4月1日をもって「公益財団法人広島県体育協会」の名称を改め、「公益財団法人広島県スポーツ協会」とする。

令和3年3月25日
公益財団法人広島県体育協会
会長 神出 亨

 

 

概観

公益財団法人広島県スポーツ協会は,公益財団法人日本スポーツ協会の加盟団体であり,広島県内の体育・スポーツ団体を統括し,広島県のスポーツ界を代表する唯一の民間組織である。
昭和5年12月15日に創立され,戦前は各競技大会,講習会の開催,神宮大会への選手派遣等を通じ,県内スポーツの普及・振興に努めるとともに,各競技大会に数多くの名選手を輩出し,自他ともに許すスポーツ王国の地位を占めていた。
昭和17年,戦時体制の大日本体育会の設立により解散し,戦後の昭和21年7月30日,民主的な組織として再建され,戦後の荒廃の中で,スポーツの復興に努めた。
昭和26年,広島県内で第6回国民体育大会を開催した。国民体育大会へは毎年多くの選手を派遣し,昭和31年の兵庫国体では天皇杯3位,皇后杯4位の好成績を残した。
昭和30年代は,サッカー・ホッケー・バレーボール・軟式庭球等,広島県のスポーツの全盛期であり,東京大会をはじめ毎回オリンピックへも多くの代表選手を送り出し,バレーボールの猫田勝敏,水泳の田口信教,柔道の中谷雄英,川口孝夫が金メダルを獲得した。
昭和43年には広島県内で全国高等学校総合体育大会を開催した。
昭和45年3月31日,財団法人資格を取得し,組織を強化した。
平成6年には「アジア競技大会」さらに平成8年には「ひろしま国体」及び「おりづる大会」を開催し,スポーツの振興が進められ,国体総合優勝という形で実を結ぶことができた。
「ひろしま国体」後は,これらの大きな大会を身近に経験した貴重な財産を活かしながら,高まった競技力を維持し,国民スポーツ大会(令和6年から名称変更)では「常時入賞」を目標とした選手の育成・強化に更なる努力が必要とされる。
また,平成13年の「ねんりんピック」,平成14年の「スポーツレクリエーション祭」,平成18年の「日本スポーツマスターズ2006広島大会」の開催に加え,平成16年度からは総合型地域スポーツクラブの育成に取り組んでおり,広く県民を対象とした地域スポーツの普及・振興を図ることが望まれる。
平成24年4月1日,公益財団法人となり,県民スポーツ推進事業,競技スポーツ推進事業,生涯スポーツ推進事業の三つの事業区分とした。これまで以上に本県スポーツの普及・振興,発展・強化に取り組むことが期待される。
令和3年4月1日をもって「公益財団法人広島県スポーツ協会」と名称を改めた。現在,本会には,各競技の県内組織である52の競技団体,14市9町の地域団体,小学生・中学校・高等学校の3学校体育団体の計78団体が加盟している。